23em(2001) Paris-Dakar 完走日記

1月1日905キロ パリスタート

start.jpg

 ホテルからスタート地点(バイクの保管場所)まで(約7km)のタクシー捕まらない。前日ホテルのフロントに頼んでおいたが、新年の大騒ぎで、タクシー不足らしい。石井さん(パリダケサポート軍団の大将、タービュランスの石井さん)の携帯に電話をし、石井号でエッフェル塔へむかう。こういう仲間がいなかったら、ヒッチハイクかはしるしかなかった。
 雨の中、朝6時905キロのステージへ。真っ暗で寒い。沿道にはたくさんの人がいて、900キロ、途切れることなく延々と手を振り応援してくれていた。子供から老人まで男女問わず。この過酷なラリーに挑戦する人たち全員のことを激励しているのだろう。
 激寒のなか厳しいステージだったが、まさにパリからスタートのダカールラリー。これだけでも十分にパリダカを満喫できるほど素晴らしい一日だった。この日の宿泊はナルボンヌの安ホテル。ゴール地ナルボンヌ着は夜8時頃。周辺には屋台もたくさんでていて盛り上がっていた。

1月2日 569キロ 

 この日の最初に30キロほどのSS。ガレ場の多いマウンテンコース。霧で何も見えない。とりあえず慎重に走ったが、最後のコーナーでオフィシャルが何かジェスチャーをしている。ギャラリーにサービスしろと言うことかと思いちょっとアクセルをあけて曲がろうとしたらスリップダウン。右ミラー壊れる。どうも滑るというジェスチャーだったらしい。これからはよけいな物に惑わされず、自分で判断していこうと決める。ちなみに三橋君も同じようにこけてタンクをへこませた。(彼は、ssフィニッシュでスピード落とせといわれていると思い、フロントブレーキをかけて滑ったらしい)
 この後我々はパットのバンにバイクを積んでスペインのカステロンへ。そのバンの中で寝る。直接パルクドアシスタンスに行ってしまったため、そこから勘でコマ図の地点を発見しに行きゴールを通過。ここでもアナウンスと共に歓迎される。

1月3日 531キロ 

 この日のssはキャンセルに。スペインのフェデレーションが許可しなかったらしい。とりあえずコースだけを走る。しかしその3分の1でエンジンストップ。いろいろ試して1時間ほどキックしていたがだめ。あきらめて公道まで押していき、そこからアシスタンスのもとへ。このSSがキャンセルでラッキーだった。原因はガソリンフィルターの出口にあるらしく、その辺のメンテをしてとりあえず復活。不安ながらもまあ様子を見る。
 今日はブラジリアンのサポートカミオン(タトラ)の荷台で寝る。時々とまって外にでると暖かい。ずいぶん南下してきたのだなあと思う。ブラジリアンのマネージャーはのんきで、休むたびにカフェに行ったりしてゆっくりしている。港に着いたときもパットが「どうかしたのか」と聞いてきたぐらい。大瀬さんはちょっといらついていた。ちなみにドライバーのチェッコ人は英語がよくできず、うまくコミュニケーションがとれなかったが、最後にスパシーバといったら、おまえはロシア語わかるのかと聞かれて英語よりはと答えて、ちょっと盛り上がって会話をする。
 港からバイクを出してモロッコ用に給油に行った。このとき大瀬さんは軽油を入れてしまい、港で大騒ぎ。パット達が港の側溝に軽油を捨てて僕のリアタンクのガスを入れてとりあえず復活。タンクの中のガスにさわって変だといったのは、チームメイトのイギリス人マイクだった。このトラブルで、主催者のTSOに早く乗ってくれと何度もせかされる。 
 フェリーに乗るとすぐにレストランに。金森さんに混むと聞いていたため部屋にも行かず、荷物持ったまま直行。案の定すいていてすぐ食べられる。そこに増岡さんがやってきて、「今トップにいる。今年は獲るよ」と勝利宣言。力みもなくすごさを感じる。
 その後モロッコの入国審査をしてから部屋に移動。二人部屋で鍵もあったため、だったら重い荷物を持ち歩かないで、先に荷物を入れておくんだったとちょっと後悔。両替に行って、ここはアラブでシュクランジャジーラン(ありがとう)の国だとわかる。両替の親父に「シュクランジャジーラン」といったら、にやっとして端数を切り上げてくれた。

1月4日 602キロ 

バイク調整中.psd
いよいよアフリカ大陸。モロッコ入国。この日のSSはわずかに190キロ。まさにウオーミングアップで、たいしたことのないコースだった。リエゾンであまりの景色の良さと雄大さに、マイクと大瀬さんとゆっくり帰ってきたら日が沈んでしまい、浅賀さんに「今日でこの時間じゃ、この先厳しいよ」と言われる。パットにも「明るいうちに整備したいから早く帰ってきてくれ」といわれ反省。翌日からラリーなんだから、さくさく行こうと決める。この日以降も含め、モロッコではSSでもリエゾンでもとにかく警官や軍人がたくさんいてミスコースのしようがないような設定であった。

1月5日 572キロ 

初の砂丘登場ということで気合いを入れたが、小砂丘どころか砂丘の端だった。大したことなし。しかしみんな砂丘の谷間の低いところの轍を行って苦戦している。僕はいつも通り、堅い砂丘尾の上を淡々と走行。この砂丘に入る前のCPには、結構みんなミスコースしてあらぬ方向から来ていた。ドライレイクのハイスピードなところもあり、なんと言うこともないコース。

1月6日 608キロ

 朝5時のリエゾンスタートのため、暗い舗装路のワインディングを行く。ライトが暗くてよく見えず、スピードが上げられないが、みんながんがんとばしていく。僕には無理。あとでこのライトがあまりにハイビームで何も見えていないことがわかった。
 この日から少しガレ場登場。結構ハードなガレ場の始まり。パリダカは砂丘よりガレ場がきついということを感じた。しかし、あまりにガレすぎていて日本で練習はできないんだろうな。しかし、高速ドライレイクもあってそんなに厳しくはなかった。
 今日も後半のリエゾンで景色のでかさに打たれる。人間の小ささと、その中で生きている人のたくましさを感じた。この日は結構まじめに走ってみたら82位。このぐらいまでは行けるのかと思ったが、まあ無理はよそうと翌日からはペースを落とす。

1月7日 489キロ 

sandrock.gif
 ようやくSSが400キロを越え始める。ガレ場が多く、ものすごくがれた岩場の急な登り下りがあり、僕のように下手な者は歩くようなスピードで慎重に通過する。これでアフリカ4日目、そしてモロッコのステージが終わる。
 朝のリエゾンで赤ちゃんを連れたお母さんや子供達が手を振っているのに振り返し、赤ちゃんに思いっきり手を振る。蒼太を思い出して、つい愛想良く振ってしまっている。フランスでの声援からずっと感じていたが、どの国の人もはこんなに友好的なのに、何で戦争なんか起こるのか不思議だ。
 この日のビバークでまだ4日が終わっただけ。まだまだ先の長いことを考えた。ドバイだったらもう終わっている。さすがにパリダカだなーと実感。

1月8日 628キロ 

いよいよモーリタニアに入る。オールSS。本格的なパリダカに突入。この日と次の日はマラソンステージで、ツールボックスはこない。つまりパーツどころかテントも寝袋もなし。
 寝袋だけはは預かってくれると噂が流れたが、どのスタッフに聞いてもそんなことはないといわれ、仕方なくしょって走る。KTMの女の子は憤慨していて、そのせいかこの日でリタイヤ。
 思いっきり登り、そこから平坦地を縫いながらの砂丘越えが延々と続く。僕らにとってはなんてことない砂丘で、ラインも選びながら、淡々と越えられた。シュレッサーの相棒のバギーがすり鉢でスタックしていてヘリで撮影されている真横を通過。
 この日の100キロ前後で細野君がフロントホイールを組み直しているのを発見。「なんでこうなるんや!」といいながら、かなりまいっていた。「絶対にあきらめないでビバークにこい!」といって後にしたが、その後のコースを走って「これは無理だろうな」と思った。しかし、彼はなんと午後8時、夕食を食ってるところに帰ってきた。これには驚いた。たぶんこれなら行けるんじゃないかと感じてしまった。
 またこの日のビバークでモーリタニアの人柄の悪さを実感。ビバーク警備の人まで物をくれと言って来る。さらにスタンドで給油したら、スタンドの兄ちゃんは50フランくれと言うし、警官まで俺にも50フランよこせという。警官がこんなんだから上も押してしるべしで、この国の政治が相当めちゃくちゃなものなんだろうということを実感する。国民がかわいそうである。子供達の目も曇っているのがはっきりわかる。
木下砂丘1.psd

1月9日 628キロ 

 早朝に砂丘を越えてパットが到着。びっくりすると共にありがたかった。
 コースはいきなり深い砂の轍のガレ場で、最初の5キロに30分以上かかった。その後は、GPSメインの面白くハイスピードのセクションで楽勝。
 CP3から後、GPSポイントが直行より右に設定されていたが、みんなの轍は直線。僕は途中からGPS走行で独走。マイクも同じ選択をしてしばらく行ったところで出会う。しかし何の轍もないため、7キロぐらいでとまってマイクと話そうとしたら、僕について来た115番が「どうしてこっちに行くんだ。轍はあっちだ」と言っている。僕は「GPSが指している方に行けばその後が楽なはずだ、僕は自分の判断で全責任を負う」と言ったら、マイクにも同じ質問をしていた。マイクは一言、「Go Strait」と言った。
 彼は自分で戻ることもできず、しかたなく我々についてくる。しかし僕とマイクが違うラインを選ぶので、どっちについて行って良いかとまどっていた。そしてGPSポイントで、2輪15台4輪2台ぐらいの轍の束を発見し、振り返って指さすと、115番は大きく何度もうなずいて納得していた。そして轍を追って、我々より先に行ってしまった。
 その後僕とマイクはそれぞれ勝手に走りながらもまた合流。僕もマイクも、フロント突き刺しの前転をしながらも、順調な走行。しかし僕はその前転で左膝をひねりかなり痛める。そしてCP4からゴールまでは、またガレ場の入った道で来た道を戻るのだが、マイクはどうもGPSで直線に行ってしまったらしく右に大きくそれていった。
 僕は行きの道をトレースして谷まで順調にいったが、問題のガレ場の谷で苦戦。スタンディングでしっかり抜けようとしたが、ガスのトラブルでうまくエンジンが回らず、開けたところで急にパワーがかかってスリップダウン。5キロほどのスピードだったが運悪くナビシステムを石にヒット。MDを壊してしまった。さらに右手親指付け根にひびが入ってしまったらしく、えらく痛い。なんとかその後ラインを選んでガレ場を越えたが、壊してしまったことが申し訳なくて、パットにひたすら謝った。謝りすぎておまえは謝らんでいいからしっかり走れと言われる。
 マイクは案の定がけの上に出てしまったらしく、僕より2時間ぐらい遅くなって夜帰ってきた。大瀬さんは谷で苦戦して、押して抜けてきたらしく、7キロに2時間かかったという。既にゴールはなかったが、念のためもう一度ビバークからゴールまで2キロほどの轍の中を戻って、ゴールなしを確認してきたらしい。

1月10日 440キロ 

 この日はレストデイ前で、厳しいコースらしかった。砂丘がメインなので、僕には特に無理のないコース。しかし昨日の痛手から、アクセルをうまくあけられず、親指をかばって小指の筋に激痛が走り始める。コースよりも、こっちがきつかった。
 さらに日没後に5キロのssを残してしまいその5キロに30分かかってしまった。堅い轍の上にふかふかの砂で、ライトが弱いためスピード上げられず、バランスも崩れて苦労する。轍も何通りもありナビも大変。こりゃ本当に夜にならんようにがんばらなきゃと実感。
 砂丘に負けてリタイアするものが増えてくる。大瀬さんはこの日午前4時帰着。
砂丘.psd

1月11日 休息日 

 水に当たって朝から激しい腹痛と水便(なんと血混じり)。夕方までに駄目なら薬をもらおうと思って我慢。しかしやっぱり駄目だったので、メディカルテントへ。
 右手でおなかを指差し、もの凄い痛い顔をして、左手でお尻から噴射のジェスチャーをしながら「Like a shower!」と伝えた。素敵な笑顔の女性ドクターは、「OK スーパーストロング。エブリシング OK」と強力な抗生物質らしきものをくれた。本当にストロングで、なんとか夜までに下痢も痛みも止まり復活。
ヤシ.psd

1月12日 508キロ 

 前日の休息でずいぶん手は楽になった。しかし若干まだ小指の筋が痛い。もちろん親指の付け根も振動の度に激痛。この日もコース的には大きな砂丘もなく、ガレ場よりもキャメルグラスのぐちゃぐちゃサンドで苦労する。しかし相変わらず右手の激痛との戦いという状況。いやーパリダカだなーと実感

1月13日 654キロ 

 この日はもっとも長いSS580キロ。前半稼げるコースだったはずが、砂嵐で視界が効かずCP1まででずいぶん時間を食う。その後はキャメルグラスもいっぱいあり、かなりハードなコース。砂丘越えは本格的で楽しめたものの後半のキャメグラ、小砂丘でモーリタニア独特のはまりを何度か。よってゴール100キロ手前で日没。
 ライトがおかしいと感じて光軸を少し下げた。その作業中、砂漠の静かさが気持ちいい。さらに、月もないのに星明かりで風景の輪郭が見えることに感動。光軸調整でいくぶんましになったが、それでも他車より暗く、苦戦しながらも前進。
 ゴールまで60キロの地点で、たき火をしているライダーを発見。声をかけてエンジントラブルと判明。60歳近いおじさん。5回目だという。3回は完走しているとのこと。すごくいい味を出していて、またこれもパリダカかと何となく感じ入る。
 彼を後にして30キロくらい行ったところで135番を発見。ガス欠だという。僕のガスもぎりぎりだが、リアタンクに残っている分は大丈夫だろうと彼のリアタンクをはずしてわけてあげることにした。
 それが終了した頃(約1時間)TSOのカミオンバレーが逆送してきてガソリンをわけてもらう。僕も念のためにわけてもらったが、そこにテレビクルーが取材に来て、映像になりフランスで流れる。どうも僕がガス欠したように放映されていたらしい。
 結局この日ビバーク着は3時。寝たのは4時となる。
sakyu2.gif

1月14日 535キロ 

 もっともハードと言われるステージ。多くの深夜着のライダーがこの日はスタートのみでキャンプ地で1日休息(CP不通過のペナルティーを受けるだけ。この日はゴールも同じビバークだから)。
 僕は3時間寝たのでとりあえず行けるだけ行ってみることにする。CP1(148キロ)まで3時間20分。既に12時近い。このペースだとまた日没後100キロ弱が残りそうなため、CP1から戻ることにする。ショートカットがないためCP1で1時間ほど休息し、おおかたの4輪が通過したところで逆送開始。3時間30分かけてゴールに至り、この日は535キロだったが僕は320キロのステージとなった。200キロ短いパリダカとなってしまった。
 キャンプに帰り大瀬さんが足首の捻挫でリタイアしたことを知る。医療テントに行くともうセネガルに向けて出発する直前で5分ほど会話をして大瀬さんは出発。細やんが大瀬さんのバイクの部品をはぎ取ろうとするが、残念なことにもうバイクは行ってしまっていた。

1月15日 234キロ 

 短く簡単なステージと言われたが、最後30キロほど、キャメグラのぼこぼこ連続で結構きつかった。というものの3時にはビバーク着。オアシスで風景がよく、静かないいビバークだった。パットはこの日ルートがないため翌日ビバーク地に直行。自分でマシンチェックとメンテをする。

1月16日 499キロ 

 この日がラストハードデイといわれて、これをクリアーすれば後は消化試合という空気が蔓延。僕も日没前にゴールしたいと結構マジに走る。コーナーの立ち上がりを早くしてペースアップを図ったら、いつも抜かれている人たちまで抜いてしまう。ふーんそんなもんかと思っていたら350キロほどで腰に激痛。どうやってもとまらず、場所が場所だけにリタイアも考えTVクルーを発見。
 そこでバイクを止める。「腰が痛くてもうダメです」といってテレビクルーの無線で呼んでもらおうか、と思いながらとりあえず一服。小便をしてストレッチを試みる。なぜか痛みが減り、これなら走れそうだと再スタート。
 調子よく走っていたら425キロ地点でよもやの大クラッシュ。頭を強く打ち一瞬目の前が真っ暗になりブラックアウト、もう終わりかと考える。しかし2秒後ぐらいに視界が回復。立ち上がりバイクに向かうがものすごく体が痛い。バイクを起こせずうずくまっていると見物に来ていたフランス人が車で通りがかり、起こしてくれた。なんとか再スタートが可能になる。
 その後は順調に走り日没直前にゴール。目標通りになったものの痛手は大きい。あせってはいけないと痛感。転倒している時間を考えたら、そんなに焦らずじっくり構えても、そんなに遅くはならなかったはずだ。マイペースの必要性を痛感。カミさんのメールにあった、be naturalという単語を思い出す。
びしょびしょ.psd

1月17日 776キロ 

 マリに向けてのステージ。もうキャメグラもない。でもラリーはまだ終わっていないとオリオールがブリーフィングで言うぐらいだから、激しいコースではないはず。
 しかし、前日の転倒の影響で力が入らず、まともにバイクを起こせないため、絶対に転倒しないようにしようと慎重に走る。この日のSSは214キロ。140キロまでは無転倒でいったが、そこで転倒。何とか自力で起こしたもののこれが限界。バランスも崩れその後10キロで3回転倒。自力では起こせない。さらにコースは最悪の堅い轍の上の深い砂。前半は轍を使ったが、こけた後は時間を気にせず極力草地を探して上を行く。
 1度はプレスカーに、1度は地元の人に、1度はサポートカーに起こしてもらう。サポートカーに抜かれるほどだからマキシマムタイムもオーバー。SS出口でパットに会うが、とにかく体が利かない。歩くのもきつい状態。これから456キロのリエゾン。しかも最初の100キロはSS同様に結構面倒な道。既に2時半。夜は間違いない。行くしかないのでマイペースで走る。
 あと130キロで日没。その後マリの夜のいい匂いに気が付く。お香をたいたような良い香りで、自然にわき出ている。この香りが気持ちよく、ずいぶん癒された。さらに村々で夕食の準備の七輪(?)の火がとても暖かく見え、思わず立ち寄りたくなる。さらにバマコが近づきものすごい街の明かり。久々に見る明かりである。妙に元気が出てきた。
 10時にビバーク着。翌日の準備をして寝たのが1時。明日は4時スタートなので起床は3時。800キロのロングステージ。テントを建て畳む時間も惜しいので、そのまま寝袋で寝る。またマリの人々、子供達の反応から、この国の政治がわりとまともな方向であることを感じる。

1月18日 804キロ 

 この日もまだからだが痛い。バイクにまたがってもスタンドがはずせず、周りの人に頼んではずしてもらう。カミさんのメールのbe naturalを再び思い出し、完走に向けて戦うのをやめ、いつも通り、マイペース。リタイアしたらしたでしょうがないとき持ちを切り替える。なぜかスムーズになる。
 SS途中でも小便をしたくなったので、しっかりとまり用足し。そのとき畑から現地の夫婦が赤ちゃん連れでやってきた。赤ちゃんをあやし、楽しく会話。これですっかりロシアンラリーモードに。800キロが楽しいツーリングとなり、日没直前にビバーク着。
 パットのところに行くと妙に喜んでいる。TSOのスタッフも、僕を見るとびっくりして、周りのスタッフに声をかけている。みんな驚きながら誉めてくれる。「おまえはこれでダカールに行けるぞ」とものすごい喜びよう。おそらく、朝の様子を見て今日の800キロは無理で、これが僕のラストデイとみんな考えていたのだろう。どうもパットもそうらしい。
 しかし帰ってきました。無転倒です。
木下と子供達.psd

1月19日 299キロ 

 この日も相変わらずマイペースで楽しく走る。体力も戻ってきた。(といってもバイクは起こせるというレベル)。トラブッた人以外の最後尾であるが、問題ない。楽しいツーリングデイ。無転倒。

1月20日 564キロ 

 今日のゴールはいよいよダカール。SSも217キロしかない。楽勝と思いきや、またまた堅い轍の砂深い道。さすがにパリダカ、最後までやってくれる。「今日もこけないぞ」と思ったが3度スリップダウン。
 悪循環に陥りそうになったが、マイペースを維持してゴールへ。ダカールの海が見えてきて妙に感動。「ついに来たんだナー」と実感する。この日、シュレッサーの暴挙があり増岡さん順位を下げる。

1月21日 100キロ 

 今日は海岸からのビクトリーラン。楽勝と思いきや、リエゾン最後の5キロが避け場のないめちゃくちゃサンドの轍できつかった。やっぱりパリダカ。最後までやってくれる。
 海岸について、今日は2時間後に一斉スタートとなる。その間、皆思い思いにだらだら過ごす。この先のSS30キロも甘くないだろうなーとちょっとブルーになりながらも、バイクの横に寝っ転がり感慨に浸る。11時半ブリーフィング開始。主催者のオリオールがフランス語でやったあと、英語で話そうとしてなぜか言葉に詰まる。主催者も参加者も気持ちは同じらしい。みんな、「英語なんか気にせず一緒に写真を撮ろう」とオリオールを誘い、海岸でライダー全員と記念撮影。僕も妙に泣けてきた。ついに来てしまったんだナー。
 その後スタート前にオリオールが僕のところに来たのでお礼を言う。「サビーヌ亡き後、こうしてパリダカを続けてくれたおかげで僕の夢は15年ごしに実現しました」と伝えた。そして、こうしてまさに本格的に近いフルコースのパリダカールにこれてうれしかったことも伝えた。

 その後ヘリが舞う中一斉スタート。皆気合いを入れているが、僕はマイペース。10キロの海岸沿いのコース。もったいなくて最後尾を行く。映像で見て夢に見たパリダカのビクトリーランを今走っている。水しぶきでゴーグルが曇ってくるが、涙と混ざってよくわからない。
 海岸から内陸にターンをするとやっぱり深い轍のサンドコース。僕はいつも通り轍を嫌い草の上を淡々と縫う。ギャラリーがたくさんいた。僕の見える範囲に誰もライダーはいない。おそらく僕が残ったライダーの中でいちばんへたくそなのだろう。見ている人も「どうしてこいつが完走できたのか」と考えているのだろうナーと思った。しかし、僕はこうして無理せずバイクと体ををいたわりながらダカールまでやってきたのだから、「こうして僕はここまで来たのです」とみんなに見てもらえばいい。気にせずマイペースラインを行く。
 残り8キロほどは池の周りの堅い路面。ペースは上がるが無理はしない。ここでとばしても意味はない。そう思っていたらマイクが前でとまっている。特に問題はないみたいだが声をかける。そこから一緒に軽快にマイクと併走してゴール。二人で固い握手。
 記者のインタビューも受ける。細やんが答えているとき、BGMとして拓郎の歌を細やんのラリーの替え歌にして、「♪私は今日まで走って来ました~、ときには人に助けられて~、ときには誰かに部品をもらって~、私は今日まで走ってきました~、そして今私は思っています~、明日からもこうして走っていくだろうと~。私は今日まで走ってきました~、コースでホイール組み直して~、毎日マフラーなおしながら~・・・♪」と歌っていたら、細やんの声が詰まってしまった。そういう僕の歌声も詰まっていた。ついにこれでパリダカは終わり。
 後35キロのコンボイパレードがあるが、まさにこれはパレード。みんな気ままなライン取りで、秩序なくコンボイになっているが皆誇りに満ちた様に見える。排気音の合唱もすさまじく、何となく暴走族の気持ちが分かってしまう気もする。パルクフェルメにつき、ついに全行程終了。
goal.jpg

1月22日 

 バイクを積み込む港まで、またまさにラリー。時間指定だけで、地図もなく港へ。みんな迷いながら走っている。
 その夜日本大使公邸に、日本からの参加者が招待された。そこで出された寿司は、このうえなく旨かった。元白バイ隊員で書記官の藤間さんと会話も弾む。そこから空港に直行。
 空港ではまたパリダカ。あっちこっち搭乗口が変わり引きずり回されたあげく、さらに1時間遅れ。最後まで楽はさせてくれない。

1月23日

 パリ着。荷物を運搬するのにも、体が不自由でひと苦労。タクシー待ちも、パリダカ関係者がジャンボ2機分も臨時便で来ているので大渋滞。1時間待ち。
 ホテルでカミさんと蒼太にあう。カミさんが意外と淡々としているのでちょっとびっくり、と同時に「さすがうちのカーちゃん!」とうなずく。

1月24日

 パットの店で挨拶。記念撮影。パットもうれしそう。大瀬さんは来年再挑戦したいという。パットも「去年のパリダカは簡単だったし、今年であそこまで行けたなら、マインドを強くすれば行ける」と大瀬さんに言っていた。
P1240144.JPG




楽しく活動しています。楽しく活動しています。

sign-1.pngsign-1.png

sign-2.pngsign-2.png

sign-3.pngsign-3.png

sign-4.pngsign-4.png

sign-5.pngsign-5.png

sign-6.pngsign-6.png

sign-7.pngsign-7.png

sign-8.pngsign-8.png

sign-9.pngsign-9.png

sign-10.pngsign-10.png