リーダーシップを発揮するリーダーを生み出さない国

2011-09-14

リーダーシップを発揮するリーダーを生み出さない国

 「リーダーシップを発揮しろ」という言葉を良く聞きます。特に政府(総理)に対して、野党議員や論評で言われることが多くあり、私はこれが非常に気になっています。それは、これが矛盾した指摘であると同時に、その言葉が都合良く使われているからです。

 矛盾した指摘である理由。それは、リーダーシップを発揮しない人を選んでおいて、言っているからです。今の国政にも、リーダーシップを発揮出来る人はいます。でも、そうした人は総理に選ばれません。リーダーシップを発揮する人=確固たる理念と行動力のある人。こんな人を選んでしまったら、自分たちの意見を聞いてくれずに、自分たちが蚊帳の外におかれてしまう。そういう心理が働く為に、八方美人な人、穏やかで自分たちの意見を聞いてくれそうな人、そんな人を選んでいるのです。
 国会議員だけでなく、その取り巻きにいる人たちも同じです。より、自分たちの言うことを聞いてくれそうな人を選ばせようとします。そうやって選ぶ訳ですから、そもそも、リーダーシップを発揮しにくい人と状況が生まれているのです。それなのに、リーダーシップを発揮しろという。明らかに矛盾しています。

 また、リーダーシップを発揮して進めるべきだ、という指摘も都合良く使われています。自分たちのやってほしいことにしか使わないからです。しっかりとリーダーシップを発揮して決定・指揮をしている時は「独断専行」「独裁」「組織を使っていない」等々言う人たちにかぎって、自分たちのやってほしいことをやらせようとするときに、「リーダーシップを発揮しろ」と言います。
 つまり、リーダーシップを発揮してほしいのではなく、自分たちの言うことを聞いてほしいいのです。それをそう言わずに、リーダーシップを発揮してないと言い換えて批判する。そのご都合主義。

 こうした視点で、「リーダーシップを発揮して」という発言、論評を見てみてください。色んなものが見えてくると思います。

 よりリーダーシップを発揮しそうなにない人を選んでおきながら、リーダーシップを発揮しろと批判する。このおかしな環境を変えて行かなければ、結局何も変わらないと感じています。

政治不信か 政治家不信か?

2011-09-16

政治不信か 政治家不信か? 

 投票率の低下はとどまるところを知らず、「政治不信」という言葉が政治家から聞かれることも増えてきました。「そんなことでは政治不信が更に進む」などと使われて言います。

 私は、この言葉に違和感を感じます。事実を捉えていないからです。政治家がこの言葉を使うとき、政治家がこの言葉を使うとき、「政治家は頑張っているのだが、有権者が解ってくれない」という認識が垣間見えてしまいうのです。

 事実、ときおり市議会で選挙管理委員長に、「投票率を上げる為に、選管としてどのように取り組むのか?」という質問がなされます。これ、おかしいですよね。選挙管理委員長としたら、「私に聞かないで、あなた達が自分で努力してください。」と言いたかったことでしょう。実際は、選管としても努力しますという趣旨で答えていましたが…。

 本質は、政治不信ではなく「政治家不信」であるはずです。政治家の行動と発言が一致しないこと。国民のためと言いながら、保身のために行動していること。こうした空気を有権者が感じている。それが政治家不信を生み、政治不信になっているのではないでしょうか?
 投票率が上がらないことも、同様でしょう。どうしてもこの人にやってほしい、有権者がこう思っていれば、投票に行くはずです。伝えられない自分たちの力不足を反省する気持ちがなければ、問題は解決しません。(自分の市長選挙も、四回やって四回とも34%前後の投票率でした。自戒を込めて、はっきり言います。)

 政治不信と政治家不信。似て非なる二つの言葉。でも、その意味は全く違います。政治家自らが、責任を感じているかどうかが、はっきりわかる言葉です。
 ぜひ、永田町のみならず市町村議員も含めて、「政治という大枠ではなく、政治家そのものが信頼されていない。」という現実をきちんと受け止め、そこから行動を開始してほしいと思います。